徒然の書

思い付くままを徒然に

古代史の読み物~夢か現か幻か~

 
古代史について書かれた本を読むときは注意を要する。
古代史について書いている物書きは夢の中の出来事を現実もものとして、物語るのと同じことをしている。
即ち、神話の世界と事実の世界をごっちゃにして書かれている。
古事記にしても日本書紀にしても、史実としてとしてではなく、単なる作り物をして読むにはとても面白い。
けれども日本の古代の歴史を知ろうとするなら読まない方がいい。
古代史について書かれた読み物も、神話の世界を書いているのかと思うといつの間にか史実の世界に移っている。
しかも神話の世界を前提に史実の世界の事を書いている。
多くの人は神話の世界を史実と思ってしまうことが多いのではないだろうか。
何ともいい加減な話である。
これは記紀が、神話の世界も史実の世界もごっちゃに書かれているのが原因で、端的に言えば、味噌も糞も一緒の扱いだからである。
 
余り利口でない、八世紀頃の藤原不比等などの官僚共が大王家や己に都合の良いように作った形跡があるとすれば、国家の史実とは、とてもいいがたい。
三、四世紀のものなど、全く欠落してしまっていると言っていい。
纏向遺跡が発掘されて、ヤマトについては、随分と色んなことが分かるようになったとはいえ、ヤマトの建国など正確な事は殆ど判らないと言っていい。
これは、記紀の編纂当時、その頃の事実を知りながら、意識的に書かなかったものなのかもしれない。
我が国の史実は今後も発掘されるであろう、考古学を基に再構築される必要がる。
記紀が味噌も糞も一緒であるからと言って、現代において古代史を書こうかと言う物書きはそれをまねては、読む者が錯覚に陥る。
神話の世界を前提に書きながら、あたかも史実の一部であるがごとき書き方は物書きのいい加減さを表す以外の何物でもない。
古代史を語っている物書きのいい加減さは呆れるばかりである。
 
神話の世界と現実の世界をごっちゃにして平然と話を進めている書物が多い。
次に一例を示そう。
大和建国について、吉備がヤマト建国に貢献したにも関わらず日本書紀には何も書かれていない。
大和の建国以前に出雲から大物主がやってきている。
そこへ天磐船に乗って饒速日がやって来た。
饒速日は土着の民の女と夫婦になって大和に君臨した、と書いている。
神武が大和に入ったのはこの後で、神武は長髄彦と戦ったが、饒速日とは戦っていない。
饒速日は大和の王権を神武に禅譲していると書いているものは多い。
これがすべて、神話の世界の事としての話なら何の問題もない。
単なる創作なのだから・・・
このようにして史実の大和王朝が建国されたものと考えているなら、大きな誤りである。
すなわち神話の話を現実の史実へすり替えるための説明でしかない。
神武の実在を信じているものが書いたのなら、それはそれでいい。
だが神武架空説を取っているものがこれを書いてはお仕舞である。
何故なら神武も、饒速日も現実のものではない神話の世界の人間だから・・・・・・
日本書紀饒速日の正体を明かさないのは不審だとしているが、明かしたところで神話の世界、どんな作り事でも書けるのだから無意味な事であろう。
神武も饒速日も天つ神の末裔だということは分かって居るとは言うが、はっきりとした系譜が示されていないという。
神話の世界での末裔にしても同じことだろう。
天照が神話の世界に登場した時のことを思えば納得するだろう。
神武や饒速日が天つ神の末裔であるというからには、饒速日が土着の女と夫婦になることなどは現実の世界では不可能で、神話の世界としてでなければ通用しない。
ギリシャ神話のゼウスが、下界へ降りてきて人間の女と交わった、などという神話と同じである。
 
饒速日の末裔の氏族は分かって居るが、饒速日自体の出自は分かって居ないという。
これも疑問。
天つ神の饒速日の末裔のは物部であるというのであろうが、饒速日の末裔が人間であるわけなない。
ヤマト建国の立役者は出雲と吉備であったから、出雲の大物主の後にやって来た饒速日は吉備の出身であったのではと言っている。
いずれにしてもここまでは未だ、神話の世界。
だから何を書いても間違いと言うことはない。
 
この後、現実の話へ横滑りして、話を進めていくのが物書きとしては一番手っ取り早い。
読んでいる多くの人は騙されてしまう。
神話の世界と現実の世界をしっかりと区別しながら読まないと、神話の世界のものとして書かれたものまで史実だと錯覚してしまう。
書く者にしてみれば、史実がはっきりとわからないから、神話の話を持ち出しているのだが、それでは古代史について書く資格はない。
こんな神話の世界から現実の世界へ話を横滑りさせても、神話の世界の話は史実の前では前提にはならないことが、判っていない。
判って居れば導入部に神話を持ち出すことなどあり得ない。
 
神武も饒速日も大物主も神話の世界の話である。
神話の世界を現実の世界に持ち込んでは歴史の書としての説明としては全く意味を為さない。
 
神話の世界は神話の世界として、現実の史実の世界の推理に神話を持ち出すことはあってはならない。
大和王権の成立については正確に記述された資料がない限り推測に頼るしかないのだがその推測を神話から横すべりさせることは間違っている。
神話はあくまで神話であり、現実のものではないからで、その様な作り事を基にして事実を引き出せるものではない。
古事記の言うように、浦島もどきが出てきたからと言って、神武が存在して東遷したという証拠にはならない。
 
もうひとつ例を挙げるならば、履中と住吉仲皇子が黒姫と言う女を巡って争ったとされる事件であるが、勿論女を巡ってと言うよりは主導権争いなのだが・・・・
この時、仲皇子に加勢したのが、倭直吾子籠で、これは神武が東征した時速吸之門まで来たとき水先案内をかって出た椎根津彦を先祖とする豪族だと説明している。
己で神武は架空の人物で神話の領域のものだとしておきながら、何故神話の世界のものを史実の世界に登場させるのか。
架空の話の中の椎根津彦なるものの実在は本当なのか、説明の安易さを求めた書き方で、物書きのすることではない様に思うのだが・・・・・・
歴史学者はさすがに神話と史実をごっちゃにして、説明することはないとは思うが、古代史を語るうえで、やってはならないことだと思う。
 
 
 
 
 
 
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