徒然の書

思い付くままを徒然に

遠野物語~座敷童~

 
柳田國男といえば遠野物語で知らぬ人もないほど有名であるが、あまり有名過ぎて読む人が意外と少ないのかも知れない。
柳田が訪れたころは、山に囲まれた隔絶郷であったろう。
だがこの遠野は民間伝承、すなわち習俗や伝説に満ち満ちた、物書きや、風俗研究家にとっては絶好の地域であったのだろう。
遠野は曲がり屋でもとくに有名であるが、座敷童やオシラサマ、あるいはオクナイサマやコンセサマなど様々な神がいて人々の信仰の対象になっていたのだろう。
追々と、遠野物語の面白さを抜粋していおうと思う。
この本の初版はずいぶん古くて、まだ高校生の頃だったと思う。
もう本は茶色く変色し、今にもばらばらになりそうである。
 
丁度整理してい処目についたので、久しぶりに読んでみようと思って、読み始めたのだが、もう何年ぶりになるだろう。
誰もが一度は聞いたことがある座敷童の処を抜き出してみよう。
書かれたのは大正の初めごろだから、文体は古いがそのまま読んでも読めないことはないと思う。でも何か読みずらいこともあるので、少しばかり読み易くしてみよう。
 
旧家にはザシキワラシという神の住み給う家が少なからずある。
この神は多くは十二三ほどの童児なり。
時々人に姿を見することあり。
土淵村大字飯豊の今淵勘十郎という人の家に、近ころ高等女学校にいる娘が休暇で帰っていたのだが、或る日廊下で、はたとザシキワラシに行き逢あい大変驚いていた。
これは正く男の児なりき。
同じ村山口の佐々木氏にては、母親がひとり縫物をしていたとき、次の間にて紙のがさがさという音がする。
この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。
しばらくの間、坐すわりて居れば、やがてまた頻しきりに鼻を鳴ならす音あり。さては座敷ワラシなりけりと思えり。
この家にも座敷ワラシが住んでいるということは、随分以前より言われていた。この神の棲む家は富貴自在なりと言われている。
 
ザシキワラシまた女の児なることあり。
同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人が住んでいるということは随分前から言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰る時、留場の橋のほとりにて見馴みなれざる二人の可愛い娘に逢えり。物思わしき様子にて此方へ来きたる。
お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。
これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。
その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。
さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸きのこの毒に中あたりて一日のうちに死に絶たえ、七歳の女の子一人を残っていたがが、その女もまた年老いて子なく、近ころ病やみて失せたり。
 
孫左衛門が家では、或る日梨の木の回りに見馴みなれぬ茸がたくさん生はえたのを、食べるか、食べまいかと男どもが言い合っているのを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制したれども、下男の一人がいうには、いかなる茸にても水桶の中に入れて、おがらをもってよくかき廻まわしてから食えば決してあたることなしと言って、一同この言に従い家内ことごとくこれを食いたり。
七歳の女の児こはその日外に出いでて遊びに気を取られ、昼飯を食いに帰ることを忘れしために助かりたり。
不意の主人の死去にて人々の動転している間に、遠き近き親類の人々、或いは生前に貸ありといい、或いは約束ありと称して、家の貨財は味噌の類までも持ち去ってしまって、この村草分の長者であったけれども、一朝にして跡方もなくなくなってしまった。
 
この兇変の前にはいろいろの前兆ありき。
男ども苅置たるまぐさを出すといって三ツ歯の鍬にて掻きまわしたところ、大なる蛇へびを見出みいだしたり。
これも殺すなと主人が制せしをも聴かずして打ち殺したところ、その跡より秣の下にいくらともなき蛇ありて、うごめき出でたるを、男ども面白半分にことごとくこれを殺したり。
さて取り捨つべきところもなければ、屋敷の外そとに穴を掘りてこれを埋うめ、蛇塚を作る。
その蛇はあじかに何荷がともなくありったという。
 
右の孫左衛門は村には珍しき学者にて、常に京都より和漢の書を取り寄せて読み耽けりたり。
少し変人という方なりき。
狐きつねと親しくなりて家を富ます術を得んと思い立ち、まず庭の中に稲荷いなりの祠ほこらを建たて、自身京に上のぼりて正一位の神階を請うけて帰り、それよりは日々一枚の油揚あぶらげを欠かすことなく、手ずから社頭に供そなえて拝んでいたところ、のちには狐馴れて近づけども遁にげず。
手を延ばしてその首を抑えなどしたりという。
村にありし薬師の堂守は、わが仏様は何ものをも供そなえざれども、孫左衛門の神様よりは御利益ありと、たびたび笑っていたという。
二人のおなごの座敷童に逃げられて、没落していく様は何とも哀れです。
それに引き替え、座敷童が住み替えた豪農の繁栄が目に見えるようです。
 
 
参考 柳田國男          遠野物語            角川文庫
 
 
 
 
 
 
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