太古の日本の姿
太古の日本列島はユーラシア大陸の東端の一部をなしており、大陸と地続きであったと言われている。
その日本列島が大陸から離れ始めたのは2300万年~500万年の間であるらしい。
ウイキペディア
この説ではこの期間、世界のどこにも類人猿さえ存在しなかった。
この年代とて、確かな事は判る訳もなく色々言う人もいるが、大体が言葉を濁して確かなことは断定していない。
何を以て分離というのか、人によって分離の意義が大きく変わっている。
氷河期で海面が下がって地続きになったものを分離に含めなければ、氷河期が終了するまで分離とは認めないであろう。
この人類と言うのも化石人類のどれからを人類と言うのかはっきりしない・・・・・・
狩猟民族として動物を追って列島内に入り込んできたことは十分考えられる。
それらの人類と言われる人間共が、島国となった日本列島で独自の発達を遂げたことは十分に考えられる。
しかし、今日の日本人がこの旧石器時代の直系の子孫だと言う訳ではない。
大陸からの分離が一万年前だとすれば、日本列島が大陸から分離した時この島国に人類と呼ばれるものが住んでいた、すなわち日本列島の原住民と言っていい。
化石人類から人類の進化を辿ってみると・・・
700万年頃になって漸く、アフリカに二足直立歩行の猿人が現れたと言われている。
とは言っても、古代史は証明する手段がないので、どの様に考えようとその人の自由である。
そんな考えは間違いですよ、とは言えないのである。
他の確実な証ががそろって、初めて推測から確定へとなるのであり、古代の歴史はただの推測の事柄の寄せ集めと言わざるを得ない。
それを証明する手段がないから・・・・・
多くの人が同じように考えるとそれが通説化していくのであろうが、通説が必ずしも正しいとは限らない。
化石人類から、人類進化の後を辿ってみると・・・・・
700万年前アフリカで類人猿の仲間から直立歩行した人の誕生から始まって・・・原人・・・旧人・・・新人と移り変わっていくのだが、20万年前になって漸くアフリカでホモサピエンスと呼ばれる現生人類即ち新人が生まれたとされている。
2万5千年前になって漸く地球上にはホモ=サピエンスのみが生き残り、文明を形成したといわれている。
とすれば、日本列島が大陸から分離した時、何らかの生き物や植物、人類が存在したとしても不思議はない。
我が国の石器時代は・・・・
この時代に属する遺跡は、列島全体で数千ヵ所と推定されている。
これから推測できることは列島が分離して以後氷河期の地続きの頃、人々は列島内に入り込んだことになる。
列島が完全に分離した後それらの人々の子孫が石器を使って狩猟や漁撈で命をつなぎながら、岩穴の生活を送っていたのであろう。
その様な意味では進化とは言えないのかもしえない。
この旧石器時代に日本列島に住んでいた人類は動物を追って住着いたのであろう。
ずいぶん遅い時期まで、一部分とは言え大陸と繋がっていたのだから、それらの人間が独自のものを作りだして言ったと考えられる。
とは言っても、列島に住み着いたそれらの人々が、我ら現代人の先祖であると言う訳にはいかない。
一万年以上も続いた縄文文化ではあるが、その後の日本の文化に対する影響はほとんどないに等しいと言われている。
この時代の人類を日本人の先祖と見るには困難がある様である。
それはともかくとして、時は流れ、その間に我が国へは朝鮮半島から、あるいは中国大陸から膨大な数の人間が流れ込んできた。
コロンブスによってアメリカ大陸が発見されて、多くの人間が大陸に流れ込んで、先住民のインデアンと争いを繰り返したように、我が国の自然人とも言うべき縄文人と渡来人は争い、あるいは融合を繰り返して混血しながら弥生時代は進んでったのであろう。
そして、列島独自の文化が創り出されていく。
そこに住む人々が日本人と言われるもので、日本の歴史に神の子孫などと言う人種が入り込む余地はないのである。
日本書紀に書かれているのは橿原の即位の項で、
と書かれているだけで、西暦660年などとは一言も書かれてはいない。
辛酉は660年とは限らない、600年、540年、480年、・・・・いくらでもある。
西暦と対応させるには中国の古文書といろいろ付け合せて面倒な計算する必要がある。
日本書紀の編纂者がどれ程の処を意図したのかは、はかり知ることは出来ない。
遥か後になって、西暦と対応させて660年などと最初に言い出したのは、少な
くとも江戸の学者か、明治の舞い上がった輩であろう。
その為に、神武に続く天皇と呼ばれる者たちの生存年数がすべて百数十歳にしなければ、計算が合わなくなってしまうのである。
神武が葦原の宮で即位したとき、世の人々は一生懸命に縄文土器を作っていたそんな時代であった。
縄文時代にも稲作の痕跡はあるとは言う物の、その頃は大規模な稲作はまだ伝わっていなかった。
煮沸用の土器をつくる様になってからは、どんぐりを煮沸して灰汁を抜き、食べていた。
それ故、歴史を研究する人々は、神武をどの様に扱うか頭を悩ましたんでしょう。
尤も、神武と言ったところで、これは後世付けた名前度あるが、この当時縄文人は名前など持っていたのかどうか、更にそんな時代に人を支配する特殊な人物が存在したか、そんなことまで考えると、日本の歴史書ってとても馬鹿馬鹿しくて面白い、否、記紀などと言う作り物を日本国の正史などと、懸命に守ろうとする者の姿は滑稽と言うより、道化者と言うべきかもしれない。
本当に、昔々、、人間として国を統治するために、神と称するものが天の磐船に乗って天空から降ってきて、人々を支配したと思ってるのだろうか~
だから、天上の神の子孫がj治める日本は神国、神の支配する国などと思ってるのかねぇ~官僚共は・・・・
そう思い込まなければならないとすれば、滑稽を通りこして、哀れと言う他はない。
神話の世界と現実の世界をごっちゃにして日本国の正史だなどと宣う。
神話の世界は神話の世界として大切にして、現実の生身の人間の役に立つようにするのが国を預かる者の責めだと思う。
それを文部省の役人どもが、大真面目で教科書を検定して、己らの意に合わない記述は許可しない。
それで訴えられて、延々と国民の税金を使って、平然と訴訟を展開する。
日本の権力者と言う奴、どれほど権力に魅力を感じているのか、手にした権力を手放すまいと保持することに汲々としているように見える。
狐も虎の皮を着ると強いなあ~ってつくづく思う。
こんな阿呆みたいなことを一生懸命書いているということは、己まで阿呆の仲間入りしてしまったようで、何とも切ない気持ちになる。
おおよそ歴史などと言う物は尤もらしく書かれていても、それを証する文献自体存在しない場合が多く、また存在したとしても記紀の様に真実とは凡そかけ離れた創作物であったり、それを書いたものの立場によっては、必ずしも真実を書き記したとは限らない様な場合もある。
例えば信長公記や徳川実記などであっても凡そ真実とはかけ離れた部分も随分と多かろう。