魏志倭人伝で思う事~その参 終章~
現代の史学者などは記紀は嘘ばかりではないとは言っているがそれは当たり前のことで、編纂事業に携わった者や天皇家にとって、不都合でない、どうでもいいことは、無理に虚偽を書く必要も無いのだから、その様な部分については偽りを書く必要も無いであろう。
ただ、どの部分が真実で、どの部分が作為された偏向の部分なのか、はっきりと見極めがつかない限り。その全体を我が国の史記として認めるのは甚だ難しい。
国が真から我が国の正しい史記の編纂を思うなら、未発掘の古墳などを率先して発掘し、史実検証のための資料とする以外にない。
それから検証していかなければならないとは実に情けない国である。
未だに教科書検定が為されているということは、そのいい加減な記紀を日本国の国史として学童を教育するなどは、またぞろ戦前の神国日本だとか国体護持だなどと言う、世迷い言を並べる連中を勃起させることになる、ということを認識する必要がある。
なのどの明治憲法に書かれた様なことを未だ信奉するものがいるとは真に嘆かわしい。
万世一系とか神国だとかいう過去の遺物はきれいさっぱり頭の中から拭い去る必要があるし、それを学校教育などで押し付ける事は以ての外であると、思い至るべきである。
それぞれ国史と言うものを作るにおいては多くの偏向があることは事実である。
例えば今、昭和史を編集するについて十組の編集組織が有ればそれぞれ全く違った昭和史が出来上がるだろう。
昭和史でさえ真実は何処に、ってことになるだろう。
それぞれの中に真実もあれば全くの絵空事の部分もあるだろう。
戦前の昭和史などは、実際の部分は随分と秘匿されてしまっているだろう。
始めの頃はいざ知らず、あんなものはだれも信用していなかったとしても、
そんないい加減な誇大宣伝に、一喜一憂していた日本人の心情なんて、あの程度のものにしか過ぎないのだと思うと情けなくなる。
天武が指示した古事記にしても同じ様に天皇家の統治の正当性を主眼とした史書として、日本書紀に至っては藤原一族のみを正当とする歴史書をつくるように指示され、そして出来上がったのが、記紀と言われ、教科書の国家検定までして、国民に押し付ける、真実味の薄い我が国の歴史書なのである。
権力者が手にした史実を証する様な文書は、己の傷になる様な証拠書類は一切抹殺してしまう。
だからこそ、古代に限らず、歴史上の出来事の真相は闇に葬られてしまう。
時の権力者の資料の隠滅や改ざんは日常茶飯事と思って間違いない。
それに反する様な史料や古文書は当然廃棄されてしまう。
その廃棄されたものの中には史実が変わってしまう重要な記述が含まれていたかもしれない。
邪馬台国の臺與の東遷についての史料さえ見出せたかもしれない。
天皇陵などの発掘はすべて禁止されている。
古代の記述は確実と思われるところは信じてもいいとは思うが、少しでも推理を働かせなければならないところ即ち確実な裏付けの記述のないものは、あくまでも推理でしかない。
推理による史実などは、無用の長物、いや無用と言うより有害でさえある。
それが今の我が国の古代史が混沌としている原因なのである。
参考文献
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