徒然の書

思い付くままを徒然に

ケルトの人々と神話と伝説

 
ヨーロッパ大陸の最西端、ブルタニュー半島の突端シザン岬と呼ばれるところ、抉り取られた様な高い断崖に囲まれた湾があった。
この湾は昔、死者の海と呼ばれ、この土地に古い昔から伝わる伝説があった。
海水の侵入に備えて、高い城壁を巡らしたこの都、教会の尖塔や城郭の櫓が林立する煌びやかな美しさを見せていたこの町はイスの都と呼ばれていた。
この美しい町は悪魔の仕業によって高波にのまれて、海底に没してしまった。
伝説自体たわいもない話であるが、その底流にはキリスト教ケルトの古来からの古い宗教とのせめぎ合いがあった。
古い時代に高波の呑まれたこの沿岸の集落が水没したことから発した伝説なのだろうという。
実際にも、この辺りの海底には古い港の遺構がいくつも見られるという。
この都市伝説に見れる様な都が実際に存在したのかどうか、今は知る術もないが、イスとはケルト宗教の他界なのではなかろうか・・・・・という。
ケルト系民族のブルタニューの人たちの想像力がこの都市伝説と結びついて、出来上がった彼らの他界説話の一つなのではなかろうかとこの著者は言う。
ケルト神話と中世騎士物語        田中仁彦著
 
ケルトの人々はローマ帝国出現以前のヨーロッパ世界に於いて、地中海と北海の沿岸地域を除いたヨーロッパ全土を席巻した民族であると言われている。
青銅器時代のこの時期に、鉄器を引っ提げて、戦車を駆って、ヨーロッパを駆け巡ったこの民族も一つの国として機能したわけではなかった。
ヨーロッパ全土へそれぞれに散っていった部族単位の民族で、それがこの民族の衰亡を早め消えて行った一つの原因なのであろう。
とは言っても、必要に応じて、部族間で協調し合うことはあったかもしれないが、彼らにとっては民族的統一を図る、中央集権的国家体制は必要でなかったのかも知れない。
 
戦闘に於いては、死をも恐れぬ勇猛な戦い振りであったと言われるのは、彼らの宗教的のものの考え方によるものであると言われている。
彼らの戦いぶりについては、紀元前一世紀のギリシャの史家なども驚きを以て書き記したり、語っている。
ギリシャやローマの人々はケルト人のこの勇猛さは彼らの霊魂の不死を説く宗教にあると考えた様である。
ギリシャやローマの人々らは、ピタゴラス流の輪廻転生の様なものだと考えていたらしい。
ガリア戦記などを見てもカエサルは、魂は決して滅びず、死後一つの肉体から他の肉体へ移るということである。
ガリア人をして死の恐怖を忘れさせ、武勇へと駆り立てる最大の要因だ、とみている。(ガリア戦記六巻十四節国原芳之助訳講談社文庫)
とは言っても、彼らの宗教がこの様なピタゴラス的輪廻転生であったかどうかは確かではない。
ただ、残された伝承にはかれらの神々や英雄の変身譚は多くみられるという。
尤も変身譚はケルトに限らずギリシャ神話を初め、世界の神話や伝承に多くみられる物語ではある。
ただケルトの人々は文字を持たなかったために、記述されたものとして残るにはもっと時代を経なければならない。
 
戦に於いては死兵は強い。
生きながら死んだ人間であるから、死という観念はなくなってしまっている。
我が国に於いても江戸の頃、薩摩には死兵と言われる、すてかまりと言う集団が存在したと言われている。
ただ彼らの場合宗教的なものは一切関係のない単なる戦闘集団として存在したに過ぎないのだが・・・・・・
 
ただ、ケルトの宗教をつかさどるドルイドたちも、この様な宗教観を説いたわけではなかろう。
ケルトの人々の宗教の根幹をなす信仰なのであろう。
ケルトの人々の考えていた死後の他界観の特異性とでもいうのだろうか。
この他界観から、ケルト人の様々な神話、伝説が生まれてくるのは当然の事だったろう。
文字を持たない、ケルト人はこれを伝承として口から耳へと伝えてきた。
この古伝承を文字化したのはドルイドではなく、キリスト教が入ってきて、キリスト教化された伝承として、伝えられた神話や伝説が修道僧を通して、文字化されて現代に伝わった。
アイルランドに入ってきたキリスト教ケルトの宗教と融合しやすいキリスト教で、カトリックではなかった。
恐らく東方キリスト教と言われているものであった。
これを裏付けるものとしてはケルトキリスト教独特のものとして聖アンナ崇拝を挙げることが出来るという。
聖アンナ崇拝とは聖母マリアの母聖アンナに対する崇拝はキリスト教正伝によるものではなく、東方世界で成立した外伝、ヤコブ福音書によるものである。
このヤコブ福音書によると・・・・・
二人の天使が現れて、ヨアキムとアンナを会わせ、接吻させたときマリアを身ごもったという。
聖アンナは肉の交わりなしにマリアを身籠った。
ここから聖母を聖化する無原罪懐胎の信仰が生まれたという。
ケルトの地方では聖母崇拝よりの聖母の母聖アンナへの信仰が強かったと言える。
ケルト人が個々的に戦闘に強くても、単なる個々の部族として広がったにすぎず、組織化された国家としてのローマの様な集団には抗すべくもなく、滅亡へと追いやられるのは目に見えていた。
ケルトが一つの国家として存在し、一つの国家組織の行動としてヨーロッパを席巻したのであれば、世界の歴史は変わっていたかもしれない。
 
ケルトの変身譚はケルト神話の一つのパターンとして、アイルランドの古伝承が、侵略の書として書きとめられたという。
この古伝承を語ったものはアイルランドにやって来た最初の住人で、牡鹿、猪,海鷲、鮭と変身を繰り返しながら、パーソロン族に続いてやって来た諸族の栄華盛衰を目撃した後、再び人間に生まれ変わって、目撃談を語り伝えたと言われている。
この変身はギリシャ神話の変身物語を書いたオウィディウスの変身であって、ピタゴラス的輪廻転生とは言い難い。
 
前三世紀末になるとローマが歴史の表面に出てくると、ケルトの世界はガリアとブリテン諸島に限られてくる。
更にガリアもローマに抑えられ、前二世紀末にはゲルマン民族の大移動で、ブリテン諸島に押し込められてしまう。
そのブリテンでもアングロサクソンとの長い間の抗争が続き、ケルトの世界はウェールズ、コンウオール、ブルタニュー、そしてアイルランドに限られてしまった。
その長い歴史の変遷の中でもケルトの古伝承は生き残った。
アイルランドでは早い時期に、アイルランドに入ってきた東方系のキリスト教ケルトキリスト教の修道士たちによって、口伝承されていく古伝承が文字化され最も原型に近い形で現代に伝えられているという。
ケルトの勇猛の元ともなった宗教的な死後の世界観を知ることが出来る。
その内でも、最も重要なものとされるのはイムラヴァと呼ばれる、他界への旅の物語群が神話的伝承として重要視されている。
最も古い時期に記録され、キリスト教的影響のない古伝承の姿をとどめているのが、プランの航海と呼ばれるものである。
アイルランド以外のケルト系の地域、ウエールズやブルタニューでは口伝されていく段階で神話としてよりも民話的なものに変わっていった。
 
ケルトの古伝承のうちに少しずつキリスト教的な要素が混入されて、やがてキリスト教の枠組みの中に取入れられてしまうと、キリスト教世界の冒険譚に置き換わってしまう。
それが、聖ブランダンの航海、あるいは聖パトリックの煉獄などの物語であり、キリスト教世界の冒険譚として、語られる様になる。
 
ケルトの古伝承における物語の中には,我が国のおとぎ話に通ずるような物語も見ることが出来る。
 
古伝承の中でも、最も古い時期に記録され、キリスト教の影響を受けることの少なかった、古伝承の原型ともいうべき物語にフェヴァルの息子プランの航海と呼ばれている物語がある。
 
異界が海の果てにあるというのも珍しい。
異界とか他界とかいういわゆる死の世界は、地の底とか海の底とかにあるとされるのだが。
しかも異界とは言いながら、生きてる生身の女の国と言うのも珍しい。
これを解明する伝承があるのだろうか。
この明るい世界の国はキリスト教にいわゆる原罪以前の物語であり、天国だ地獄だとなどの陰湿な暗黒の世界とは全く違った世界である。
ケルトの人々の考える異界は暗い地の果てなどの考えはさらさらないのである。
 
プランの航海そのものの物語は次の機会に・・・・・
 
参考文献
ケルト神話と中世騎士物語        田中仁彦著        中公新書
ガリア戦記                                 国原芳之助訳    講談社文庫
 
 
 
 
 
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