徒然の書

思い付くままを徒然に

惰眠を貪るは宜しからず・・・・・

 
医者などに言わせると、睡眠を十分に取って、心身を休めることが必要だと言う。
老子は人は皆生に出て死に入ると言い、貝原益軒は養生の仕方によって、その死に入る時期を遅らせることが出来ると言っている。
老子などは弱々しく生まれて、生きながらえる者十のうち三、強く生まれても死んでしまう人も十のうち三、生きていても生に執着して、自分から死んでしまう人も十のうち三だという。
生まれて死んでゆくのが人間の定め、長生の人も短命な人もいるが、養生に気を使いすぎて、自分から寿命を縮める様では浮かばれない。
だが適切な養生をすることで、命長らえれればそれが一番いい。
人の命は我にあり、天にあらず、要は長命か短命かは養生次第だと益軒は言う。
 
因みに、養生訓の著者貝原益軒は江戸時代の福岡藩藩士
さすがは養生訓を書いた人だけあり、夫婦そろって長命であったと言う。
そこで益軒の養生訓を少し読んでみよう。
 
いにしえの人、三欲を忍ぶ事をいえり。三欲とは、・・・・・
長寿を全うするには三欲を忍ぶべきだと言っている。
その三欲とは食の欲、色の欲、眠りの欲なり・・・・と言う。
先の二つについては多くの人が知っているが、眠りの欲については殆ど知らない。
現代の医者に言わせても十分な睡眠が健康維持には必要だと言う。
だが益軒は・・・眠りを少なくすれば、無病になるは、
元気めぐりやすきが故也、・・・・・と言う。
眠り多ければ、元気めぐらずして病となる。
夜ふけて臥しねぶるはよし、昼いぬるは尤も害あり、・・・と。
ねぶりを好めば、くせになりて、睡多くして、こらえがたし。
ねぶりこらえがたき事も、また、食欲、色欲と同じ、・・・・・という。
 
だが江戸の頃、この睡眠を減らすことは非常に難しかった。
今の様に、照明が完備した時代ではなく、江戸の夜は闇。
菜種油やろうそくを使えるのは武家か裕福な商人ぐらいのものであったろう。
暗くなる前に食事を済ませ、暗くなったらもう寝るしかない、そんな時代であった。
庶民の明かりは、魚油の灯明で、辺り一面生臭さが漂う。
それでも、明かりを灯せる家はまだいい方である。
江戸の夜は真っ暗、鼻をつままれるまで、人がいるのは分からないくらいである。
現代の東京でも広範な停電などになると、全く同じである。
数年前の停電の時、試みに街を歩いて、江戸の闇を実感したことがある。
 
只睡の慾をこらえて、いぬることを少なくするが養生の道なることは人しらず。
とは言われてもなかなか侭ならない。
 
ただ一つの救いは、現代の様に交通機関に頼って足を使わない生活ではなく、すべて己の足が頼りの生活・・・・・・
益軒も云う、・・・・・養生の術は、つとむべきことをよくつとめて、身をうごかし、気をめぐらすをよしとす。
つとむべきことをつとめずして、臥すことをこのみ、身をやすめ、おこたりて動かさざるは、甚だ養生に害あり、と・・・・
 
宵にはやくいぬれば、食気とゞこほりて害あり。
ことに朝夕飲食のいまだ消化せず、その気いまだめぐらざるに、早くいぬれば、飲食とどこほりて、元気をそこなふ、と言う。
食後には必ず数百歩歩行して、気をめぐらし、食を消すべし。眠りふすべからず。
婦女はことに内に居て、気鬱滞しやすく、病生じやすければ、わざをつとめて、身を労動すべし、ともいう。
久しく安坐し、身をうごかさざれば、元気めぐらず、食気とどこほりて、病おこる。
ことにふすことをこのみ、眠り多きをいむ。
 
 
歩くことにかけては現代人の比ではない。
 
益軒の養生訓ゆめゆめ疑うこと無かれ・・・・・
改めて言うと、老子が言うように、長生きな人も、短命な人もいるわけで、・・・・・
ただ、人之生、動之死地・・・・・自分の健康に気を使いすぎ、自分で命を縮める様なことだけは避けたい。
 
 
 
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