徒然の書

思い付くままを徒然に

記紀の面白さは・・・・

 
官撰の歴史書とは言っても、論理的な一貫性や矛盾は気に留めないのかねえ~
多くの人が集まって編集したのだから、そうなったのだろうが、日本書紀を編纂した時代の古代人のものの考え方の杜撰さにいらいらすることがしばしばある。
前後に脈絡がないのである。
その点、古事記の方がすっきりしている。
神話だからしようがないと言えばそうなのだが、我が国の発祥が自然発生的に湧いて出た神と呼ばれるものに由来すると考えていたことに、改めて驚きを感じる。
日本書紀に依れば、
最初に湧いて出たのは三神・・・・・
 
便化爲神、號国常立尊、次國狹槌尊、次に豊斟渟尊
 
この神たちは天地が開けて国土が浮き漂っている、そんな天地の中に葦の芽の様なもの、それが神となった。この三柱は陽気だけを受けてひとりでに生じた。
それ故、純粋な男性神だと言う。
 
凡三神矣。乾道獨化、所以、成此純男。
 
これには六説の異説が在ったのだろう。
神の名前や発生の過程に多少の違いがある。
次に神ありとして八神が挙げられているがこの中に伊弉諾伊弉冉尊、が出てくる。
 
次有神、伊弉諾尊伊弉冉尊
 
と記されている。
 
これらの神は陰陽の気が交わって生まれたので男神と女神の両性となっている。
神が発生してから、この伊弉諾伊弉冉まで神代七代と言うとなっているが、
何故七代なのかよくわからない。
これも古事記の方がはっきりとしている。
 
ここから後はよく話に出ることもあり,有名な国生みなのであるが、伊弉諾伊弉冉天の浮橋の上に立って、夫婦の行為を行って国土を産もうと相談しているのである、これが問題。
神が生まれる前の事が最初に記載されている。
 
陰陽の別もまだ生じなかったとき・・・・・のぼり棚引いて天となり・・・・・下を覆い滞って大地となった。
天がまず出来上がって、大地はその後でできた。
そして、その後からその中に神が生まれた。
 
故、天先成而地後定。然後、神聖、生其中焉。
 
と書記は書いている。
大地があり国があるところに神が生まれた。
伊弉諾伊弉冉尊が国を作ったと言うのだから、それはそれでいいのだが、官撰の歴史書としては、このような記述の仕方に問題はないのかと言うこと・・・
 
一書にこの様な記述がある。
天つ神が伊弉諾伊弉冉に、豊葦原に、豊かに稲穂のみのる国がある、二人で行って治めなさい、と・・・・・この記述は既に国が存在することを前提にしている。
そしてまた、この天つ神は何処から湧いてきた、未だこの書には出たことがない。
天つ神となに・・・・誰の事を指している・・・・・まず最初に現れたと言う国常立尊以下二神を指すのか、書記ははっきりしない。
その点、古事記ははっきりとしている。
古事記日本書紀では編集の仕方が違うのだから仕方ないと言えばそうなのだが、・・・・・・
書記は前後の脈絡がすっきりしない感を受ける。
いかに神話の時代とはいえ、この日本書紀、真面目に呼んでいると馬鹿を見るほど、記述の仕方がいい加減である。
これがイライラの原因なのだろう。
神話の世界だから話の内容については、どれほど作りものでもいいのだが、話の脈絡だけはしっかりとしていないと官撰の歴史書などとは言えるべくもない。
至る所に矛盾を感じる。
説明不足を感じる。
 
この様にして、伊弉冉は次々に様々なものを産んでいくのだが、火の神、軻遇突智神を産んだとき身を焼かれて死んでしまう。
この後はよく話に出てくる黄泉の国へと移っていくのだが、この黄泉の国の話が後々様々な物語の筋に使われている様である。
物語自体は他愛もないものだが、ここでも多くの神が生まれ出ることになる。
我が国が、神々で溢れかえることになる。
実際の処、日本書紀よりも、読み物としては、古事記の方が数段面白い。
 
記紀を研究しているわけではなく、ただ読み物として読んで感じたことを・・・・・・・・
 
 
 
 
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