徒然の書

思い付くままを徒然に

ふと心に甦ったこと・・・・





最初はこんなことを書くつもりはさらさらなかったのだが、yahooどんな感覚してるやつが、ブログを担当してるんだろう。
先刻この記事をアップしたら、5分経っても10分たっても新着記事の掲載が動かない、こんな時は不掲載の場合が多い。そこで、15分ほどたった頃削除してみた。
すると途端に新規掲載の記事が動き始めた。
どんな基準を設けてるのかは知らないが、yahooと云うところ、何とも恣意的で不可解な処である。
それとも、身心脱落なんて言葉理解できないのかもね。
今度は載せるか載せないは放って於いて見よう。



これからが本文・・・・・
もう二十数年にもなるだろうか、この頃に読んだ本にこんなことが書いてあった。
ふと何の脈絡もなく頭に浮かんできた。
良寛は生涯寺を持つこともなく、優しい言葉で教えを説いたお坊さんとして、子供たちからも慕われたと云う。
彼はに漢詩狂歌、俳句、俗謡も巧みで、書も達人でもあったと云われるほとではあったし、戒律の厳格な禅宗の坊さんでありながら、酒も飲むと云う、さばけた性格のお坊さんであったと云う。
禅宗のお坊さんだけに、道元の書いた、正法眼蔵をよく理解し道元に心酔していたところがみえる。
その良寛が次のような事を云っていたと云うのである。

災難に会う時節には、災難に会うがよく候。
死ぬる時節には死ぬるがよく候

などと誰に宛てた手紙なのかは知らないが、こんなことを書いていると云う。
なかなか常人には書けない文句であろう。
大悟した人ならともかく、小悟したぐらいな者辺りではとてもとても・・・・

これは、今生きている間は精一杯生きよ、と云うことであろう。
良寛さんはこれを言いたいために、あのような言い方をしたのであろうと思っている。

これを読んだときは、まだまだ現役で生臭く、座禅に親しんでいたとは言っても、これを理解するには程遠いことを実感したものである。
あれから二十数年経った、今でも生を十分に生き、死ぬるときは十分に死ぬと云う、前後裁断した境地には達してはいない。

良寛の言うことからいえば、地震が来たら、地震で死ねばよろしいと云うのである。
事実その頃、地震が多かったらしいのであるが、なかなかそこまでは悟りきれない。
直下型地震が近い将来、来ると云えば、心配にもなる。

道元さんは、生も一時の位なり、死も一時の位なりとは言うが、生と死を同じものとはなかなか悟り切れない。
なかなか、自己を捨てることは出来ないのである。
真似事の禅ではあるが、40年座り続けても、身心脱落とはいかない様である。