徒然の書

思い付くままを徒然に

東京の夜空は美しい ~星が一杯瞬いて~

 
幾ら計画停電とは言え、電気本来の役目を見失った停電計画は電力供給業者としての電気屋の本分を履き違えて、その履き違えた措置を平気で為すようでは、この様な業者の在り方を再考する時期に来ているのかもしれない。
自分の都合の悪い事実は隠蔽し、監督官庁への報告もどれほど真実を報告しているか、疑ってかかる必要がある。
 
こんな不愉快な連中の事はひとまず忘れることにして、今日の夜間の停電の間に、完全に灯の消えた街中の探訪を試みてみた。
時代小説などを読むと、あの暗い提灯の灯が江戸の人々の夜の往来には欠かす事の出来ないものとして、書かれている。
余程の田舎へでも行かない限り、真っ暗な中を歩くなんて事は今の時代不可能な事であろう。
外へ出ると成程真っ暗、灯りと言えるものは何にもない。
江戸の人々の様に提灯を持ち出そうかとも思ったのだが、まさかそこまではと・・・・・
だがほんの少しで、後悔することになる。
家を出てすぐの交差点の角で、立っていたおまわりさんにぶつかりそうになって、慌てて飛びのいた。
月夜でもあればまだ明るさはあるのだろうが、月の姿はどこにもない。
鼻を摘ままれても解らないとはこの事なのだろう。
時折通る車のヘッドライトが唯一の明かりである。
江戸の庶民が提灯を頼りに歩いたという事を十分に実感した。
小説等でよく書かれているが、実際提灯がなければ歩けなかったであろう。
真っ暗とはいっても、歩道上は舗装されており、江戸の昔のでこぼこの道とは雲泥に差がある。
それでも、衝突しそうになった事は二度や三度ではない、度々である。
歩いてくる人影さえ見えないのである。
 
大きな交差点に差し掛かった、信号機が動いている。
警官が五,六人出て交通整理をしている、この信号機はバッテリーで動いているのであろうか、特別な電源が用意されていたのだろうか、聞いてみようと思ったが、懸命に整理をしている邪魔をしてもと思いやめにした。
次の大きな交差点では、信号機は完全にダウン。
多くの警官が整理に懸命である。
私鉄の駅までお凡そ4K、立て看板を見ている人が結構いる。
電車が来る訳でもないが駅員は忙しそう。
我が家の方へ向かうバスが、此処まで来る間にも3,4台出合った、と云う事は電車は動いているのであろう。
駅を出てさらに探訪の旅へ向かう、何処も真っ暗であるが、暫く行くと、騒々しい音が聞こえてきた。
発電機を回しているのである。
あれだけ大きなエンジンでは500Wでは利かないであろう。
我が家にも屋外撮影用に買った、発電機はあるのだが、これは300Wが精一杯。
まさかベランダで発電機を回すわけにもいかないので、我慢しているのだが・・・
と云うよりガソリンを手当てに行くのが億劫なのである。
暫く行くと視界が開けるところへ出たが、何処にも灯りはない。
薄っすらと五重塔のシルエットが見える。
ここで、何気なく、空を仰ぎ見ると満天に星が散らばっている。
その美しかった事、東京で初めて見る星空がこんなに美しいとは・・・
暫くは離れがたくガードレールに腰をおろして、星空を眺めていたものである。
今までは、東京で夜空を仰ぎ見る事はもう忘れてしまっていた、星が見えても明星だけ・・・
ところが、無粋な明かりが次々に点灯し始めた。
東電の奴らが、気が引けて時間満了までの途中で通電したのか、それとも通告した以上、やらなくてもいい停電をやった罪滅ぼしか・・・・・・
遮断から一時間少々で電気を通した。
 
これでは、江戸の昔の真っ暗な夜道の体験は不能になってしまった。
後は街灯の付いた道をてくてく我が家目指して辿るだけである。
それでも、お凡そ2里と少々の真っ暗な江戸の夜道を体験した様な気分になった。
怒り狂っていた気分も、どうやらおさまった様だ。
 
だが、東電のやっている、昼間の計画停電をすべて取り消し、夕刻から午後10時までの停電を是認したわけではない。
この時間帯に、帰宅した一家の主は蝋燭の光で食事をする事になる。
味気ないとは思わぬか、思わぬだろううな、東電あたりの異常人間にはそんな人間らしさが欠落しているのだから・・・・・
更に、都内23区を計画停電から除外して、周辺市部にのみ停電を課す、区別する理由はまだ開示されていない。
都知事選が始まろうとしている時、東京都の親玉、都知事石原はなぜこの差別的区別を問題にしない。
こんな所が政治屋のいい加減な処なのであろう。
 
 区部で差し障りのある所があるのなら、細かく区分けしてでも、停電を分担すべきであろう。
そうすれば一日二回も憂き目を見ないで済むかもしれない。
何事も公平、平等に扱うのが為政者の務めであろう。
理由の無い不平等はお断りである。
都民を平等に扱わないで、何が都知事か・・・