やまゆりが咲き始めた
やまゆりが咲き始めた
日課の散歩の途中、ちょっとは変わったところをと、藪を分け入ると山ゆりが何株か花を咲かせていた。
やまゆりを見てちょっと意外な感じを受けたが、思えばもう明日は七夕。
植物の歳時記は正確なものである。
6月下旬から雨模様の日が連続、すっきりと一日晴れた日は一日としてない。
こんな天候では天の川の両星を見ることなどとてもかなわない。
よくよく考えてみれば陰暦の七夕様はこんな梅雨の時期ではなかった。
というより、東京辺りでは星を見る事さえかなわない。
子供の心に映る満天の星の中を天の川が悠々と流れている光景を思い起こすにつけ、なんとも嫌な時代になったものだとつくづくと思うのである。
日本のような、政治屋や官僚のやりたい放題、なすがままの世の中で、老いぼれを阻害されながら何も長生きする必要はないんだと、この頃つくづくと、胸に染む。
おまけに、コロナに席巻された世のなかに、大慌ての治験不足のおっかないワクチンを接種されて、健康そのものの人が何人旅立つたか。
政治屋や役人は因果関係証明できずは常套手段。
只のボランティア紛いで、あたら命を落としたことになってしまうのか。
何とも哀れ、落涙を禁じ得ない。
接種開始のころ、死亡には何千万の補償をするなどと大々的に宣伝したが、この因果関係の証明という手があれば、保証などただの言葉の遊び文句に過ぎない。
過去をさかのぼれば、医療関係の訴訟で、いかに多くの人がこの因果関係で泣かされてきたが、あの記事を見た時、法を少しでも知る人は、ダダのうたい文句だとすぐに察知したろう。
安倍などというしたたかな男にまんまと乗せられた感がある。
何もこんな世の中、しがみ付く必要はない、老いぼれたらさっさとおさらばする方が何と爽快な事か・・・
人生精いっぱい生きれば敦盛にあるように五十年で結構、儚いことなど何もない、それで人生結構楽しめる。
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ワクチン接種者の体内に入ったコロナはどうなる。
ワクチン接種者の体内に入ったコロナはどうなる。
今ワクチン接種で副作用についてばかりがクローズアップされているが、接種したものにコロナがとりついた場合、そのコロナはどうなるのか。
ワクチンが完ぺきなものであれば接種者に入ったコロナは死滅させるのだろうが、現段階の急増ワクチンでは、最低限発症を抑えるか軽度に発症させるかぐらいの事しか出来ないであろう、と思うのは私だけだろうか。
だとすれば、接種者の体内に入ったコロナは体内に蓄積したままの状態で生き続けるとなれば、接種者は発症はしないか、発症しても軽度で済むだろうが、体内にコロナを抱えて、コロナをまき散らして町中を歩くことになる。
接種者が増えれば増えるだけ、その危険性は非接種者にとって、強大な危険性を負担させることになるのは当然の事であろう。
ワクチン接種がはじまって以後の感染者の状況をつぶさに調査する必要がある。
今後の非接種者は重大な危機に直面することになるのではなかろうか。
コロナ感染者が急増する可能性は否定でいなかろう。
政治屋って輩は企業優遇ばかりに血道を上げないで、国民の必序品となったマスクの消費税を撤廃するぐらいの顧慮をしても罰は当たるまい、国民に選択されたものとして国民に尽くすのが最大の義務ではなかろうか。
コロナ資金回収と企業優遇措置の自動車税の増税、重税を課すばかりが能ではあるまい。
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新作急造ワクチン接種の恐ろしさ
多くの国民にワクチン接種が感染拡大予防の効果的な手段である。
ワクチン接種にご協力いただくことが大切である。
新しいタイプのワクチンなので、定期的な体調のフォローアップは必要ですが、日本に先行して海外で使われてきて、有効性、安全性のデータが遂次報告されています。日本の接種実績の情報も遅滞なく公開されています。~~の書きだしでネット上にワクチン接種を呼びかけている。
などなど、無責任な発言が常態だが、ワクチンを接種したからといってコロナの感染を完全に排除できるとは限らないというのが一般的に言われている。
だが今までの接種禍が軽度ではあっても、あまりにも多すぎる。
しかも、説明書などには副作用についてよく理解しましたか、などと責任回避の文言が見え隠れする。
いや副作用ではなく副反応だ、などの言葉遊びはどうでもいい。
重篤な副作用でも適当な処置によってすべて完治しているとは言っているが、副作用によって回復不能な事態も起こっていることは事実であろう、すなわち死である。
一年そこそこで急造されたワクチンであって、接種開始からもほんの数か月であろうことを考えると、様々な表面に現れない欠陥が今後現れないとは絶対に言いきれない。
体内に異物を注入するのだから、体の方で拒否反応として、痛みや頭痛の程度が軽度であればまだいい。
だがワクチンの種類によっては血栓が出来たり、アナフィラキシー症状が出るようでは何とも恐ろしい薬剤である事よ。
アナフィラキシーはほとんど全員が完治しているとは言うが、一人暮らしの人間にアナフィラキシーが現れて、失神などすればこれは死を意味する。
それは外部へ救助の要請が不可能な時、アナフィラキシーで死に至る可能性がある以上、一人暮らしのものは安閑とはしていられない。
必ずしも感染するとは言い切れない、コロナの感染を回避するために行ったことが死に直結したなどでは、死にきれなかろう。
今まで一年数か月無事に過ごしてきたものにとって、今後コロナに感染することを防止したいという思いが強くなれば、ワクチンに飛びつくことも、その心情は理解可能である。
だが、感染回避のためのもので、重篤な後遺症や、まして死に至ったでは本末転倒も甚だしい。
ワクチンは、今まで充分な検証を得て完成の域に達するには二年は充分に必要といわれてきた。
急増ワクチンで、コロナを回避するために、おのが人生の最後を後悔をもって終えたくないという思いに至った。
アナフィラキシーなどに陥って、失神などして、そのまま眠りに就くなどは吾の生のシナリオには書かれていないはずだ。
ワクチン接種を予約はしてあるが、厳密に様々な角度から検討してみて、完全なワクチンが出現するまで接種は見合わせよう。
現に接種されているワクチンが日本人の体質に、どれ程適合するのかそれさえもはっきりとは確認されないままの見切り発車、要は人体実験でといってもいい。
其れでコロナに遭遇すれば、それが己の運命だったのだとあきらめもつく。
国の拡大防止のための思惑に乗った接種などまっぴらごめん。
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紙一重のあっちとこっち
忙しくって、ストレスがたまったからゾンビの映画でも見てストレス解消しようって考える人もいる。
外国なら今でも土葬が主力のようだから、死体が何らかの力で甦るってことも考えられる。
だがわが国の様に焼却してしまうと、甦って見ても理科室の骨体模型のゾンビしか現れなくなってしまう。
ゾンビって言葉よく聞くし、映画なども何度か見たことがあるけれど。
死体が生き返るっていうのがゾンビだとするとあまり好きになれない。
人間死んだらおしまいだと思っていたら、永劫回帰だなどと馬鹿な気違い野郎が言い出したおかげで、哲学者などその理論の解明に四苦八苦している。
天才と気違いは紙一重とよく言われるが、その天才が一重の紙のあっちとこっちを行ったり来たりして本を書くから、何ともややこしい本が出来上がる。
天才が書く本だから、われら哲学に素人なものには、そのままではなかなか理解できない。
紙一重の向こう側へ行ったときに書いたものなど、言葉の意味さえもよくは判らない。
解説書を読みながら理解してやろうと努力はするが、自分なりの頭で考えてみるとやっぱりこいつは気違いなんだと思い始めている。
永劫回帰とか仏教の輪廻転生などはそれを主張するもの以外にはただの絵空事。
どちらかというとキリスト教の様に最後の審判で地獄に落とされて、のた打ち回ると考えた方が、生きてるうちに少しでも善行して地獄の浅いところで勘弁してもらおうと考える方がよほど人間らしいのかな。
だがそいつによると神は死んだ、というからキリスト教もお釈迦なんだろう。
日本人は無宗教だから、道徳はどこで学ぶのだ、日本人は無道徳だなどと、ほざいた外人がいるという。
そいつの言うように、キリスト教道徳などというもののおかげで、ニヒリズムが横行しているんだ。
そんな道徳など、紙一重のあっちとこっちを行ったり来たりしている人に任せておこう。
だがね、あのドロドロに腐ったゾンビがうろつきまわるなど身の毛がよだつ、ゾンビは映画などであっても、お断りだなあ~
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コロナウィルスと人間の頭脳の勝負
そうですか、そちらではそんなことが起こっているのですか。
コロナに関する規制の撤廃を求めてデモですか、まあそんな行動がいいか悪いかは考え方次第ですが、日本という国の国民はかっての気概は全く失せてしまったと言っていいのでしょう。
全くの行政の言いなりで、過っての気迫は完全に失せてしまったと言っていいのでしょう。
人それぞれの考えは千差万別。
只ね、行政の考えてることはピントのはずれたところも多い様な気がしてるんです。
三密だ六蜜だ、などと言葉遊びにうつつを抜かしているのですが、若者たちはそんなものはどこ吹く風、数人ずつのグループが頭を突き合わせて談笑している。
路地の端から端までびっしりと数十人が屯している。
尤もその結果が感染者がダントツで抜けている、安易に考えているんですね。
そんな連中が感染しても、自宅療養などと称して、おとなしく自宅に籠って家などでおとなしくしている事は絶対にありえない。
肝心の規制しなければならない所は放っておいて、医学的にはまだまだ未知なコロナについて、推測にすぎない医学者の言葉に無条件に従っているところがあるように思えます。
日本などは企業保障をする事に喜びを感じている馬鹿な議員もいるようで、国民にマスクを絶対着用を呼びかけながら、マスクに消費税を10%きっちりと課している阿呆な国ではあるんです。
要は議員などという生き物は国民に選ばれながら、国民優先より企業優先の考え方をしている阿呆な生き物なのです。
尤もそんな者を選んだのは国民自身なのだから、己で己の首を絞めている感があることに、国民が気付くかどうかの問題なのですが・・・
このウィルスについって考えると人間という生き物の頭では対処が難しい様な気がしてきました。
たかだか人間の頭で考えだした対処法などには次々に変異を繰り返してウィルスは生き延びていくでしょうね。
ウィルスと人間の頭脳との勝負、負ければ人類絶滅。
恐竜は二億年生き延びましたが、人類はたかだか数万年、哀れな生き物です。
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ピント外れコロナ対策論議
日本の政治屋などという無能な輩のやることは何ともちぐはぐことを国会などという場で大ぴらに論議して喜んでいる。
阿呆としか言いようがない。
緊急事態宣言だ、下がった下がったと喜んでいる内に、すぐに下げ止まってしまうのはなぜか考えた事があるのだろうか、というより頭の隅にもそんなことを議論しようという気は思い浮かばないのだろう。
この前病院の待合で見た国会風景を見て、ただ呆れるばかり。
エンタメ企業など、、イヴェントを開催できないから、企業が成り立たない、企業保障をあする必要がある、などととんでもないことが議論の対象になっている。
企業保障と簡単に考えるしか能のないものが、コロナ対策など考えても、ウィルスに太刀打ちできるはずもなかろう。
街中で、人々がどの様な行動をとっているのか実際に見聞していれば、もう少しましなコロナ対策を考えることが出来るだろう。
先日ネット上に、新宿西口の光景が映し出された画を見たが、言葉遊びの三密とかいうものなど全く無視した光景である。
何十人という若者たちが、マスクは着用しているとはいえ、それぞれのグループで密集している。
濃厚接近しないようになどの呼びかけなど、どこ吹く風。
面突き合わせて、話し込んでいる光景を見てぞ~おっとした。
それらのグループが路上に端から端まで延々とつながっている。
ソーシャルディスタンシングなど全く意味をなさない光景。
ここへ自宅療養の感染者が一人紛れ込んだら、あっという間に数十人、いやそれ等を起点にあっという間に鼠算、それぞれの所で拡散させるだろう。
それとも自宅療養者を外出しないという保証でもあるというのか。
それを言うとすぐに人権の問題があるという、人権を盾にコロナの防止が出来ればな。
コロナが無くならないのは当然の光景。
企業保障を声高に叫んで、後々の企業からの何らかの利益を勘案するより、今絶対に必要とされるマスク。
そのマスクはようやく通常の価格に落ち着いたとはいえ、これに消費税が10%きっちりと加算されている。
国民の税金をあてにして企業保障にうつつを抜かす政治屋という職業人は結局は己の利益しか考えていないという事。
コロナを利用して、盛んに企業を優遇しているようだが、己の金をばらまいているわけではない。
国民の金をあてにして、それを当てにして企業の優遇をはかっているに過ぎない。
それでもマスク着用を強制するなら、そして国民の事を心から心配するなら職業政治屋であっても、マスクの消費税は徴収しない、の論議をするのが国民に選ばれたという政治屋の心というものであろう。
企業優遇によって安易な補償金のばら撒きが、将来いかに国民が苦しむことになるのか、よくよく考えてから、企業保障などという言葉を使ってしかるべき、金をばらまくのが好きな日本の政治屋たちではあっても、ばら撒くのはいいがそれは己の金ではないのだという事を肝に命じる必要があろう。
少なくとも、政治をやろうとする輩なら町の実情、国民の生々しい生活をつぶさに知る必要があろう。
世間知らずでは政治は出来ない。
江戸時代の政治の真似など必要ない。
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