徒然の書

思い付くままを徒然に

古事記物語その二


天地初めて開け史時、高天原になりし神は・・・で始まり・・・・・
三神が現れ消えて、二神が現れて消える、この五神を別天つ神という。
次に二神が現れ消えて、次に五番の神、計十神が現れる。
その最後に現れた神が伊弉諾伊弉冉である。
別天つ神以降に現れた神々の世を神代七代と言う。
天地の開けし時より現れては消えた神々の事はさておき、八百万の神々を作り出すのは伊弉諾伊弉冉・・・・・
この二神に天つ神がこのただよへる国を修め理り固め成せと詔し、天の沼矛を与える。
それでこの二人、天の浮橋の上から矛でかき回して、・・・・とは言ってもどこをかき回したのかは確かでない。
矛の先から滴り落ちるのが何かわわからないが、その滴り落ちるものが積み重なって島が出来た。
これをオノゴロ島と言う。
この二人がオノゴロ島に来て柱を立てた。古事記の出だしは此の世の創造・・・
こんなのは、紀にも同じような事が書かれているから面白くもなんともない。
 
そこで伊弉諾伊弉冉に云うには、・・・
汝の身は如何になれるかと問えば伊弉冉は、われの身は成り合わさざるところ一処ありと言う。
伊弉諾の言うには吾の身は成り余れるところ一処ありと。
そこで、伊弉諾が提案する。
吾の成り余れるところを以て、汝の身のなり合わざるところを指し塞ぎて、国を生み為さんと・・・・
しからば、吾と汝と・・・みとのまぐはいせむ。
みとのまぐはいのみとは御門で陰部をいい、まぐはひは目と目を交わす、目交懿、を言うから、みとのまぐはいは性交を意味する。
記はこの様なリアルな表現をするが、紀は全く違った表現をする。
一度、読み比べながら両者を比較するのも面白いかも・・・・
古事記の面白いところは何とも直截に色事を表現する所である。
ところが、正史だという書紀の表現はぼやけた霧の中の様にはっきりとは書かれていない。
紀は一書、一書と違った文献が九つも十もあり表現は様々。
様々な場合、成り合わざるところを成り余れるところで指し塞ぐと様々なものが生まれ出るのは世の道理。
それで、柱を回って出合ったところでまぐわおうと言って、出会ったところで伊弉冉が先に言葉をかける。
そこでまぐわって子を成すがすぐに死んでしまう。
訳が解らずにいると、女が先に言葉をかけたからだと教えられ、今度は伊弉諾が先に言葉をかける。
それがうまくいって次々に島々を生み出す。
ここで面白いのは、この時代からすでに男優先の気配がある。
こんな時代から何千年も続いたのだから、今更男尊女卑はけしからんとウーマンパワーを持ち出しても、困ってしまう。
古代から千年も歴史が続くとそれが当たり前になってしまう。
三世紀から四世紀にかけて、諸豪族に大王として祭り上げられたただの豪族の首長があるとき突然、われは天孫の末裔で、貴いんだと言って千年も続くとそれが真実の様になってしまい、後に武家が天下を獲って支配しても、その神の末裔を無視することが出来なかった。
朝廷を蔑にして、武家の棟梁征夷代将軍と言っても、朝廷に許された、ただの武家の棟梁に過ぎない。
その上には厳然とした国の棟梁がいるのである。
朝的などと喧伝されることを恐れては、天下を手中にしたとはとても言えない。
それが歴史の重みと言うものであろう。
 
閑話休題古事記の直截なエロ表現は止まらない。
伊弉諾伊弉冉は国々を作り続け、今度は神々を生み続けた。
伊弉冉が火の神を生む段についても一書、一書によって表現が異なる。
ある一書には伊弉冉が火の神を生むとき、体を焼かれてお亡くなりになった。そこで紀伊の国の熊野の有馬村に葬った。・・・・・
この葬った場所にもいろいろある。
出雲の国にも熊野と言うところがある。
古事記に書かれた埋葬の場所は出雲の国と伯伎の国との境の比婆山に葬り祭りき、と書かれている。
記と紀では伊弉冉の葬られた場所がまるで違う、どちらが正しいのか検証する術はない。
 
それでは古事記はどの様に書かれているだろう。
次に生みし神の名は火の迦具土の神という。
この神を生みし時、みほとを焼獲て病み臥せり、と書かれている。
火の神の生誕を語る部分は火の起原を述べたものと考えてよい。
火きり杵と火きり臼を用いて火をり出す、古代の発火法を語ったもの。
火鑚杵は男根、火鑚臼の穴は女陰をあらわすもの。
これについては後に詳しく・・・・・
 
この後、せっかく生まれた火の神を切り殺してしまう。
それで伊弉諾伊弉冉に対する気持ちは癒えず、神代の物語の大きな部分黄泉の国へと降りていく神話に繋がっていく。
この黄泉の国の神話は神代の白眉なのだが、どろどろした話は好みではない。最初に一度読んだきりで後は殆ど飛ばしてしまう。
この黄泉の国の話などはギリシャ神話などに幾つも語られている。
オルペウスとエウリュディケ、女神のデメテルの話も同じ様なものであろう。
それでもそれほどおどろおどろしい書き方はしていない。
オルペウスの神話を基にしたのが黒いオルフェの話。
 
伊弉諾は漸く生還するのだが、あのドロドロした穢れを洗い流すことが先決とばかりに禊をする。
その禊から多くの神々が誕生する。
顔を洗うと左の眼からテンテル、右の目からツクヨミ、そして鼻からスサノオが生まれる。
この鼻からスサノオが生まれるなどと言うのはとても奇妙。
スサノオはもともと出雲の神であり、天皇と称するものの先祖となる伊弉諾の系統から生まれるというのは筋が通らない。
尤も、この古事記や書紀と言う代物は筋の通らないのが本来の姿なのであって、筋が通る代物なら今頃は存在していなかっただろう。
とは言っても古事記は読み物としても結構面白いの、歴史書などと思わなければそれなりに存在する意義があるのかも知れない。
 
扨、テンテルとスサノオが兄弟として生まれたことから、話が面白くなってくる。
テンテルは高天原を治め、月読は夜の世界を治めることになるのだが、スサノオは海原を治めるよ命じられるのだが、なかなかそうは問屋が卸さなかったようで、挙句の果ては追放されてしまう。
それでもスサノオは荒ぶってはいても、最後に姉のテンテルに挨拶をしていこうと云う純情さは持っていたようである。天界へ向かうのだが・・・・・
この姉のテンテルと言う女、何とも狷介な性格の女の様で何をとち狂ったか武装をしてスサノオ迎える。
散々、スサノオを甚振ると、スサノオ乱暴であっても根が純情なだけに、怒りを爆発させてしまう。
兄弟喧嘩は何処の世界でも醜いもので、スサノオは怒りを爆発、テンテルが織女に神々の衣装を織らせているのを知って、機織り場の屋根から皮を剥いだ血だらけの馬を投げ込んだ。
織女の一人が驚いて機織りの梭でホトを突いて死んでしまった。
テンテルも驚いたのだろう、如何扱っていいのかわからず岩穴に隠れて入り口を岩で塞いでしまった。
自業自得とは言え、人を信じない阿呆な女としては、こうするしかなかったのであろう。
その洞穴が天の岩戸と呼ばれるようになったのはこの時からの様だ。
太陽神と言われる女だけに洞穴に隠れてしまうと、世の中真っ暗になってしまった。
驚いた神々は怪力の持ち主に岩戸を開けさせようとしたが、びくともしない。
それにしてこの男本当に怪力の持ち主なのかなぁ~
女のテンテルが簡単に塞いでしまったんだよなあ~
高天原をまとめる女であってみれば、万一の時の逃げ込むためのものは用意していたのであろう。
入り口を塞ぐ大岩を動かす術を知っていたのであろう。
それにしても、このテンテルと言う女、万一の時己さえうまく逃げ込めれば後はどうなっても・・・・・と考えていたのか己ひとりが逃げ込んで、世の中真っ暗にしてしまった。
こんな女に高天原、天界を任せて大丈夫なのかなぁ~
後々になって、世の人々はこの女を随分と拝んでいるらしいと聞くと、何とも情けなくなってしまうな~
あいさつに来た弟を武装して迎えたり、ゲームをやって勝った勝ったと騒いで見たり、スサノオも出来の悪い姉を持ったものだなあ~
こんな出来の悪い女が天界を治め、孫を地上界へ送り出して、人間を支配しようとするのだから、この世は本当に真っ暗になってしまうねぇ~
 
いずれにしても真っ暗では困るので、その他大勢の神々は、出てくるように様々な手を使うのだが・・・・
そのうちにウズメが踊りだす。
衣装が肌蹴てオッパイが飛び出し、ついでに衣装縛っていた紐ををホトの下まで下げると、殆ど全裸のストリップ。
高天原の神々とは言え、女の全裸ストリップには大変見応えがあったのだろう。神々はやんやの喝采
今の世では全裸ストリップショウは猥褻物陳列罪とか言って、なかなか上演できないけれど、この高天原の神々は、大変満足したことだろう。
さすがに、出来の悪いテンテルも外の騒ぎが気になって、岩戸を少し開けてみるとストリップショウの真っ最中。
そこタジカラオが岩戸をこじ開けて、テンテルを引き出した。
これで高天原の素人芝居が終幕となるのだが、スサノオは散々甚振られて追放になる。
スサノオも出来の悪い姉を持ったと諦めて、出雲へと旅立っていく。
この天の岩戸の伝承で,記と紀で表現に随分と相違がある。
記は梭で陰上を突くと書いているが、紀は棱を以て身を傷ましむ、と書く。
ウズメが岩屋の前で踊った表現も、記は蹈みとどろこし神懸りして、胸乳をかき出で、裳緒をほとにおし垂れきと書くが、紀は神懸りす、と書くだけである。
 
今の世では、このホトと言う言葉何を意味するか知らない人もいると思うが、古事記が使うホトは主に女陰を意味する、とすれば紀は正史を意識してこの言葉はつかえないと思っているのであろうか。
だが、原資料がホトを使っているとすれば、それを使うか使わないかは編者の単なる主観に過ぎない。
古事記はこのホトと言う言葉を実に効果的に使っている。
作者がどの様な意味でこの言葉を使ったのかは知らないが、原資料にあったとすれば当時は一般的に使われていたのであろう。
 
参考資料
古事記                    次田真幸                      講談社学術文庫
日本の歴史(エッセイで楽しむ)上              文芸春秋            文春文庫
楽しい古事記         阿刀田高                      角川文庫
 
 




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