徒然の書

思い付くままを徒然に

分を過ぎた幸せ

分を過ぎた幸福や理由のない授かり物は天が人を釣り上げる餌でなければ、人の世の落とし穴であるという。

ここをきちんと弁えないと天や人の設けた術中に落ちないことはないともいわれている。

分を過ぎた幸福や授かりものと言って思い浮かぶのは宝くじの高額当選。

宝くじを買う行為を人は夢を買うという。

高額当選の幸せをつかむことなのだろうが、そんな幸せは本当の幸せと言えるだろうか。

もともと我が国の宝くじは江戸時代の富くじにその起源を発している。

その富くじが当たる、当たらないは占いに起源を発する。

古代から占いは中国あたりでも、あらゆる場面に現れていたが、庶民の間に普及してくると、占断の目的は多くの場合金銭、出世、男女の間の事、その他日常の出来事の問題であったろう。

その中でも金銭的なものが最も多かったのではなかろうか。

すなわち、儲かるかどうか、それが富くじに発展していった。

金銭的な占断の場合、未来の吉凶の占断を下すより、その場で金銭を与えてしまおうというのが、富くじという方法になって表れた。

神社などで行われているが、外れたとしても神社への寄進と考えれば外れてもあきらめがつく。

富が当たるのは一種の占いの結果であり、神の神託であることを意味したのかもしれない。

だが高額当選した人々の以後の人生に於いて、高額な金銭、分に過ぎた金銭がどのように人生に影響するか。

天が人を釣り上げるための餌であっては、夢を買ったつもりが、その夢で自分をつぶしてしまう結果になりかねない。

そうでないとしても人の世の落し穴に嵌まらないために、きちんと弁える必要がある。

分に過ぎた幸福が不幸に転落するのを防ぐためか、宝くじの高額当選した人には、その日から読む本、などという小冊子が与えられるという。

いずれにしても分に過ぎた幸福や理由のない授かり物は人の世の落とし穴と考えるのがいいようである。

夢が幸いを奪うという事である。

今コロナについて、様々な金銭的な補償と称するものが言われているが、これは完全に人の世に設けられた落とし穴と思った方がいい。

以後何十年にもわたってその付けが降りかかってくることは確実と言っていい。

借金まみれの日本という国に、そんな支給を行える金があるはずもない。

政治屋などという生き物は己の金をばらまくのではないから、何の支障もなく公言し、支給はするだろう。

その己の失策はすべて国民の負担となって、責任を押し付けてくる。

この支給が諸外国に比べてけた外れに大きい。

以後何十年にもわたって、その負担で国民は窮乏生活を余儀なくされるだろう。

是、正に人の世の落とし穴以外の何物でもない。

ずいずいずっころばし、茶壷に追われて、とっぴんしゃん、と行けばいいのだが、・・・・

今の国民の政治意識がはっきりと目覚めない限り、未来永劫日本という国の政治は変わることはないであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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