徒然の書

思い付くままを徒然に

要領のいい男

要領のいい男

 

福沢諭吉などという男はただの傍観者。岡目八目の傍観者として他人のやったことに一つ一つケチを付けて飯のタネにした男。

様々な争いを高みの見物よろしく、傍観していて、それぞれの行ったなったことに対して傍観者の立場から、クレームをつけて喜んでいる男。

これが明治の時代では思想家として扱われていた様である。

この男思想家などとは言える様な立場にはない。話がちょっと飛ぶが、彼の書いたものに、やせ我慢の説という論文がある。

親の臨終についてもう助かる望みはなくても最後まで、望みを捨てないという事例を挙げて、江戸城総攻撃による事態を回避したのは、武士の本義のやせ我慢に悖る、武士ならば落城まで城に立てこもって、徹底抗戦して、果てるのが武士だと非難するが、親の臨終の事例を挙げて、江戸城無血開場した勝という男を非難しているが、ことは明らかに視点が違う。親の最期をみとったのち己が親の後を追うというなら同じ次元になるだろうが、そうでなければただの親に対する未練でしかない。

この男の言う最後まで抵抗するのが武士道だなどと言ってはいるが、この男の言動を推測すると武士などとはとても思えりような行動などは、まちがってもしなかった。

負ける事が判っていても最後の最後まで戦うのが武士道だとして、江戸決戦を主張し、それを行わなかった勝海舟を責めているが、この男の論理を敷衍していくと、昭和の太平洋戦争に於いては、国民に竹やりを持たせて、本土決算だなどと軍部が喚いたことを、竹やりを以て、最後の決戦をしていれば、安易な福沢の意通り最後の最後まで戦えば、今頃日本という国は存在しなかったであろう。

福沢君よ最後の決戦を竹やりを以て、最後の抵抗を行えば己には満足だろうが国を無くしてしまえば、植民地どころの騒ぎではないぞ。

只岡目八目の傍観者であるに過ぎない己の意見など実際の状況にいおいては全く役には立たない事である。

福沢の考えは武士の考えだというものもいるが、優れた武士うならこのような姑息な事は考えないだろう。

おそらく福沢が勝を目の敵のように狙いを定めたのは、咸臨丸で太平洋を渡った時の勝の態度が腹に据えかねたのであろう。

尤も幕府時代も勝は海軍に相当詳しい様に扱われているのだが、勝つという男、全くの無能。何事につけても、人の上に立てる様な人物ではなかった様である。

だが本人はそうは思っていないのが面白い。ただ子供のころから猟官運動に専念したためか弁舌だけは立ったようである。

下級御家人で出世のための弁舌だけは巧であったという男。それを、どこでどうコネを付けたか、木村攝津守の従者として咸臨丸に乗り込んだ福沢との出会いであった。

その時点から、新政府になってからも勝が重要視されることに嫉妬を感じたのであろう。

それはそれとして、ただの傍観者の福沢当たりでは知る由もなかろうが、江戸城明け渡しの話は、山岡鉄太郎いわゆる山岡鉄舟が官軍の包囲を抜けて江戸から駿府総督府まで出かて、江戸攻撃の中止を西郷との話し合いで、決めたのであって勝安房はその決まった出来事を形式的に西郷と行ったに過ぎない。

それにしても福沢の主張をどこかで実践する状況になった時、やせ我慢の説を実践したとすれば、江戸の町は火の海となり、灰燼に帰し、百万市民の多くは死に至ったであろうことは予想される。

それを考えると、戦場を遠くから眺め己には被害を及ぼさないような方法を取り高みの見物を決め込んだであろう、福沢という男の冷酷な心には憤怒を感じる。

その後の時期、福沢が、本邦にもたらした西洋事情は機械化された状況と、工業化された西洋の状況を垣間見た福沢の西洋かぶれの姿。それを世に広めることによって西洋かぶれとして、世に紹介することで、混乱する明治の代に表れたといっていい。だが、福沢あたりでは知る由もなかったようであるが、江戸末期の江戸システムは世界が驚くほど文明が発達しており、世界の注目を集めていた形跡がある。

その江戸システムと徳川末期のテクノクラートも世界に劣るもではなかった、というより世界を相手に一歩も引かずに渡り合った。

これらは、徳川の引いた路線を走る以外に道のなかった長州のテロリストで組織した明治政府等は諭吉あたりでは、ほとんど理解できないでいたであろう。

後に、不平等条約等といわれているものは、長州人のテロしか能のない、無能な輩が構成する政府役人の言うことである。

福沢が何回か西欧へ出かけている様だが、貧乏な下級武士にそれ程の金銭的余裕があったわけではなかったのだろう、二度目の太平洋航海の時、福沢が公金に手を付け私的に流用して、天測と和算数学のエキスパートである航海士の小野友五郎に見つかり、怒りをかうという。

西洋から学ぶ事も沢山あったろうが、その前に恩人の木村攝津守のすべてを学ぶべきであったと非難されている。そのような文献もある。

岡目八目とはよく使われる言葉であるが、福沢という男あの動乱の時も、そんなものにはわれ関せず、人の行動ばかりを注目して批判するばかりの姑息な男であったようだ。

福沢が明治で行ったこと、さまざまな行いは、ただただ傍観者として他人の行いを眺めて、それなりの注釈を行ったというに過ぎない。

何事につけても我関せず、傍観者の立場で他人を批判することぐらいであったろう。

それも、丁丑公論の様な西郷を弁護するする論述を書いたが、それを発表すれば明治10年であってみれば、政府から追及される可能性ありと読んだか、世に出したのは政府の状況から判断して大丈夫と思ったか、24年後であったという。

福沢が書いたものはまったく政府から追及される事は無かったと言うから余ほどに要領よく立ち回っていたのだろう。

様々な事を書いて他人を批判することが、生き甲斐であったような、西洋かぶれの傍観男であったようである。

それと己がどれほど学識があると思っていたのか、学問のすすめの中では、わが国の現状をもって外国に及ばないものは学術、経済、法律、などといっている。これなども明らかな認識不足。

政府は様々な手を打ったが、国民は以前として無気力な愚民ばかりであると、使い物になるものは万に一人などと同胞を蔑んでいる、なんとも不遜な男ではある。

おまけに、政府の役人には人物とよべれる人が多い。

私から見てもその言葉、その行動、いずれも立派で、紳士的であり、非難するどころか魅力的ですらある、との政府の人物評であるが、何とも人の見る目に暗雲がかかっているのか、人を見る目が全くないのか、西郷が現実に感じて、怒りを覚えていることを考えると、まったく見当違いである様である。

長州人などはテロを行う以外、学識のある人物は皆無であったろう。

えせ学者の松尾に洗脳された、下級武士、足軽や仲間などであってみれば、人間としての常識さえ備えていなかったであろう。

国民の中にも愚民ばかりではなく、中には万に一人は公明誠実な人物もいる。

政府の役人には人物とよべれる人がおおい、と福沢は言うが・・・

ところが、西郷などに言わせると、過っての徳川の世を葬り、新しき国造りの苦しみをすべてのものが背負わねばならい、というこの時期に薩摩や長州の無能な輩などは豪勢な屋敷を持ち、衣服を着飾り、妾を囲って、己の懐に財をため込むことばかりを考えている、この様では我が国はどうなってしまうのか、あの徳川との壮絶な戦いで勝ち取った維新の目的は、このままでは到底果たされぬまま国は滅びてしまうだろうと、西郷は嘆いている(南洲翁遺訓)

尤も、岡目八目の目の甘さは定評のあるものであるが、福沢の岡目八目は偏見に満ちている。

たまに政府に不利な論文を書いても、逮捕されるなどの不利を逃れるために、何年も時には、二十数年も発表を待つという姑息なことも平気でやってのける。

其れで後世、福沢の書いたものは一度も官憲に逮捕されたことはないのは、よほど大物とみられていたか、要領がよかったのだろうといわれたりもしている。

明治10年に書かれた丁丑公論などは西郷を弁護しているから、発表していれば即逮捕されたろうが、これは二十四年も懐に温めていた代物で、もうそろそろいいだろうと明治三十四年に発表されたものである。

よほど薄汚い性格なのだろう。

何とも様々なことを勘案すると実に嫌な性格の持ち主ではある様な・・・

やせ我慢の説などという文書では、江戸城を枕に討ち死にする覚悟で戦わなかった、ということに避難のやり先を向けて、勝海舟を非難しているが、これなどを見ても心の冷たい人間ではあったようである。

江戸城に立てこもり徹底抗戦すれば官軍は江戸の町に火を放ち、百万江戸町民の生死さえも危うかったであろう。己は高みの見物を決め込んだ単身の無責任な生き物であってみれば江戸百万の民の生活や生死さえも関わりのない事だったのだろう。

この福沢の姿が神の御札を踏みつけて、弁壺に投げ込むという、子供ながらの非常識とはいえ、それが福沢の人間性なのだろう。

 

自分の思想を論文に書き上げたが、いざ公に発表する段になると、官憲に摘発拘束されるのを恐れて発表を数十年も延ばすなどというのは学者としても恥ずべき態度といわざるを得ない。

そして人の行為を非難する論文を書き上げ、さらにはその非難対象の者たちに文章をさえ送り付け、この議論は私が、勝、榎本、の二氏に対して、攻撃を試みたものではない。

等と書いているが、なんとも空々しい輩ではある。

謹んで筆鋒を緩やかにして厳しい言葉は用いず二氏の名誉を守るだけでなく、実際においても智謀忠勇の功名をあくまで認めるものである等と論文の中に書き加えている。

それにもかかわらず個別に文章を送り付けているなどは誠に不遜の極みである。

子供のころ、豊前の片田舎で育った男のひねくれた心はますます講じたのだろうか。

両方がそれぞれ、爵位を得たり、大臣にまで上り詰めては、激しい嫉妬にかられたというべきか。

いずれにしても不遜な嫌悪すべき性格ではある様である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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老いぼれの大失態

人間って実際は信用できない生き物なんだなってつくづく感じさせられた。

しかも相手が老いぼれであるゆえに、結構なめてかかることも加わるのだろうが、

余計に払った分を着服しても気が付かないだろうと、さっさとしまい込んだのかもしれない。

しまい込んでしまえば証拠は残らないから何とでも言えるからな~

なまじ気を回して着払いの宅配便の受け渡しがスムーズにいくようにと思って、昨夜金銭を用意したのが間違いであった様である。

支払金額は3940円なりであったので、4000円を別の札入れに挟んでいたのである。

ところが宅配が来た時、いろいろ作業を行っている最中であったためかそれをすっかり失念してしまっていて、
不断使いの札入れから金をとりだしたのだが、千円札が二枚しかないので、大きなのを、崩してもらうかなって思ったとたんに、
昨夜用意したことを思い出して、それと札入れから出した二千円計6000円を手にして受け取りに出た。

そこで手にした6000円也を渡して端数の40円を渡せば百円の釣りで、すべてOKと40円也を取りに部屋へ取って返して、
100円の釣りをもらって、無事取引終了、とご満悦だったが、
後に、よくよく思い出してみると昨夜用意したのは4000円だったことを思い出して其れに2000円を加えて支払ったことになる。

結局今日札入れから出したものは、戻しておけばよかったのだが、
何か急かされて手にしたまま用意しておいた札に加えて支払ったことになった事を後刻になって気が付いた。

宅配便の配達員が、善良なら即刻多過ぎることに気が付いているはず。相手が老いぼれだからとぼけ通して100円の釣りを渡して立ち去って行った。

つくずく、人間老いぼれたくないものだと、実感させられた。

と同時に、こんな輩が将来の日本を背負っていくのかなって暗澹たる気持ちになったのだが、
たかだか2000円搾取して彼の心はどの様だったろうと、今考えているのだが、少しでも後ろめたい気持ちが沸いただろうか、
それともたかだか2000円でも儲かったと喜んだだろうか。

現在の人間の気持ちってどの様な考え方をしているのだろうか。

少なくともまともな人間なら、多く支払われた分は多すぎますよって返却するのが人間というものであろう。

いや間違える方が悪いと考えるのが現代人なのだろうか。

たかだか2000円程度(老いぼれにとっては大金なのだが)を搾取して、何の痛痒も罪も感じなければ、
本当は日本という国は困ったことになるだろうなって思ったりもするが、要は2000円程度で儲かったという感覚が沸いたとすれば、
日本という国は貧しいんだなって、嘆かざるを得ない。


明治のころ、西郷翁もその時の人間という生き物を目にして随分と悩んだことだろう。

西郷翁の遺訓を読んでみると、彼も時の政府の人間どもの所業を目にするにつけ、多いに嘆いている。

尤も、明治の維新といわれた、軍事クーデター後の政府の人間どものやりたい放題から比べると、
微々たるものではあるが、徳川の世を葬り去り、新しい国造りの苦しみを、すべてのものが背負わねばならない…というこの時期に、
薩摩や長州の連中は、豪勢な屋敷を持ち、衣服を飾り、妾を囲って、己の懐をに財をため込むことばかり考えている。
この様ではわが国はどうなってしまうのか。と

あの徳川との壮絶な戦いで勝ち取った維新の目的は、このままでは到底果たされない、国は滅びてしまうだろう。
西郷も嘆いていたように、その国の滅びは昭和の時代になって訪れ、国家の独立を失ってしまった。
長州の軍閥が引き起こしたあの太平洋戦争によって、日本国の独立は絶たれてしまった。
長州閥と呼ばれる、無能な見境のない行為は、納まることなく平成の世にまで生き延びている。
あのコロナ禍の出来事を思い出していただきたい。
まさに長州型政治の見本の様なものであった。

尤も長州藩の時代も、まともな政治は行われておらず、藩主をはじめ、上級武士は戦々恐々としていたといわれている。
下級武士や足軽、中間あたりの頭では、あの似非学者の 松陰の策謀に簡単に感化されあたのだろう。
心ある為政者としての西郷の弁によれば、今日に政府高官共の、分不相応な贅沢ぶり。
上に立つものとして道を踏み誤っている高慢ぶり。あのような態度を世間の人が見れば、あの戦は薩長が己の欲望のために,
人の血を流しただけではないか。   上西郷南洲翁遺訓。(長尾剛、注釈)による。

まさに、西郷の言う通り己らの、好き放題の安楽を求めて起こしたテロ活動から軍事クーデターであったといっていい。
この明治の代は、政府役人と商売人いわゆる世にいう企業との癒着は現代か見ればとても想像もつかない状態であった。
だから現代の政治も長州型政治と言われる時は政治屋と企業がべったりと癒着している状態を指していう。
平成の長州閥政治屋が良き見本であろう。
この明治の歴史も軍事クーデターや革命の者が作り出したもので、己らの都合の良いように作られている。
明治の下級武士や足軽、中間、或いは下級公家の政治の政も分からぬ無能者が、政府を構成し、初代の文部大臣森有礼に至っては、
日本国の言語を英語にするなどと、言い出して、外国人に止められた、などという馬鹿者も政府の一員であったという滅茶苦茶ぶりであった。

未来から現代の日本を眺めたら未来の日本人は、現代の日本の政治をどのように言うだろうと、思うと実に愉快な思いがする。

世界のこの様な革命やクーデターなどの歴史は、一般的に勝者が作り出した歴史が流布されるが、
普通百年もすると真相を究明した真の歴史に書き換えられるのが、普通といわれている。
わが国では依然として、薩長が作り出した誤った歴史を修正することもなく、未来の日本を背負う、子供たちに学校教育として教えている。

日本人の役人の阿呆さ加減は聖徳太子の抹消に始まって、自分の国の歴史すなわち日本史を学校教育で選択科目にしているという。
普通の国の教育なら世界史を選択科目にしても、己の国の歴史は必須科目とする、教育をするだろう。
何とも馬鹿な国の、馬鹿な文部省の役人であることか。
自国の歴史を大切にしない国は,間違った方向へ国民を誘導することになる。
こんなところにも案外長州閥の影響が表れている可能性があるのかもしれない。
明治のころのはじめての文部大臣は森夕礼、案外この阿呆のDNAが、日本文部省のDNAとして生きているのかもしれない。 
とんでもない話の展開になったが、日本は今大変なことが起こりかねない、可能性を含んでいるような気がしてならない。

来年の新札発行と預金閉鎖 


日本の借金総額は900兆円を優に超えた。

政府はこの膨大な借金を国民の有する総財産で、購おうとしている可能性がないとは言えない。
無能な政治屋としては一番手っ取り早いからね。
それをやれば私のような経済音痴であっても、日本国自体は終焉を迎えることになる事ぐらいは解る。
おおくの老いぼれ達が血の滲むような思いをして老後の生活を楽しむために貯えた命の糧を政治屋の無能のために、
財産税として没収されると、その夢を履かなくも散らされたとしたら、何の人生だったのか人生の終焉に来て、
早々と地獄を味わうことになる。

私は子供のころこれを経験している。
確か札に小さな証紙を張ったものだけが通用可能な札だったような気がする。
銀行へは母の代わりに金を卸しに行ったら、今月はもうすでに一回卸してると、断られた。
それでも、母が卸して来いといって、粘ったら、延々とその事情を小学生の私に教えてくれたものである。
長州閥が何兆円か何十兆円か知らないが己の金をばら撒く様に、緊急事態宣言のたびにばらまいた結果か、
日本国の借金総額は9百兆円を遥かに超えているという。
新円切り替えで、旧札が使えなくなってしまえば、タンス預金など紙屑になってしまう。
タンス預金などは、旧札使用不能の法を造ればまったく紙くずになってしまう。
事実前回の預金封鎖で行われている。
長州閥ならやりかねなかろうがね、果たして・・・・
多くの人は、それでは政治屋や官僚の物もなくなるだろうと思うだろうが、
そこはそれ、新札発行前にその手当てをすることぐらい容易だろう。
国民がもう少し政治音痴から脱却する必要があるのだろう。

ただ、選挙のたびごとに、得々と嬉々として、どんぐり選びに出掛ける人々を見ると、いつも悲しい気持ちにさせられてきた。

お盆に思う~輪廻転生~

宗教というのは矛盾に満ちたことを得意そうに平然と人に押し付けてくる。

このお盆というのも宗教行事の一つなのだが、仏教で釈迦という男、本当にこんなものを説いたのだろうか、といつも疑問に思う。おそらく様々な弟子たちが己の都合のいい様にこんなものを作り上げて来たのだろう。現在は何百という経典が仏教を支配しているのだろうが、一つとして釈迦という男が書き記したものはない。

口伝での教えだというのだろうが、弟子の中にも頭脳の優れたやつ、あるいは阿呆に近い輩も存在しただろう。そんな輩が釈迦の教えだと言って世間に吹聴して歩いたら、それを信じた者を通して、とんでもない話が釈迦の教えとして広まっていく可能性だって無数にあるだろう。世界的宗教にしても仏陀やキリスト、あるいはムハマンドにしても己が直接書いたり、口伝したものが経典として残っているものはないだろう。それぞれの多数の弟子たちが、それぞれ勝手に教祖の教えだとして流布したのもばかりが、それぞれの教義として、流布されてきた。それを聞いた輩がまたそれぞれ違った理解を示して、何十,何百の教派が出来上がってきたのが宗教といわれるものなんだろう。

われは日本人にして、幸いなるかな、キリスト教イスラム教などは全く感知しないので、仏教特有のお盆というものが、本日でもあり、このことについっての矛盾みたいなものを感じているので調べてみようかなと思っている。

仏教には輪廻転生という言葉というか、概念みたいなものがあるらしく、人間の死後の在り方を述べたものだと知らされてきた。一方人間の死後については、釈迦といえど解るわけがないのだが、それでは弟子たちへの話の突端にもならないので苦労したであろうことは目に見えるようだ。それで輪廻転生などという途方もないウソを作り上げ、其れから脱出するには解脱するほかはないなどと、弟子を励ましたのであろう。尤も仏教では人間の生、すなわち人間が生きることは苦であるという前提が出来上がっているようで、それゆえ輪廻の世界から脱出することが必要であるというらしい。釈迦が修行して悟りを得たのはその輪廻の世界からの脱出を試みた結果であるといわれている。と私は理解しているのだが、輪廻の世界から脱出すると、天国へと昇ることができるらしいのである。ここで、仏教でいう天上界と天国とは別物である。ということを認識する必要がある。というのはキリスト教あたりでいう天国とは違う、輪廻のうちの一つ、天上界というものが存在するということである。

人間の死後四十九日は魂が元の世界、生きていた時の世界を彷徨って居ると言われており、四十九日を過ぎると転生して、いずれかの世界、六道の世界へ生まれ変わるのだと・・・・

とすれば、元の生の世界との関係は一切なかったことになるのは普通の思考力をもってすれば理解できるであろう。生前関係のあった者たちとも、無縁の存在になると言ことになろう。ではなぜ転生して他に生を受けているとすれば、転生してしまったものを先祖として崇め祭るということになる。釈迦の言う輪廻転生という思考というか概念というか、それともお盆で先祖を祭る現代人のどちらかが間違っているということになるのでは・・・

ただ、己の先祖が転生の輪廻から脱出して、天国に生まれ変わっているとすれば、十分に意義のあることかもしれない。天国の仏を祭り拝むのだから・・・

ただ現代人がお盆という日を設けて、先祖といわれる死者の生前を思い出して感慨ふける、気休めだというなら、それはそれ宗教すなわち仏教とはまったっく関係のないものになるのだろう。

ただ、人間という生き物は生前に人の在り方をのちの人間が思い出して懐かしく接することは、とても意義深いことではあるのだが・・・・であるとすれば、お盆という日本の催しは意義深い行いではあるといえるだろう。

輪廻転生などという概念は釈迦が唱えたにしろ、西洋のニーチェがツアラトゥストラで言い出した永劫回帰などという似たような死後の概念の阿保らしさは、頭の狂った輩の妄想でしかない、と思わずにはいられない。

なぜなら、どんなに特異な人間であっても、死後を経験したものはこの世には存在しないからである。医学的には何分か、死に類する状態にあった者はあるのだろうが、そんなものは論外である。

人間世界が苦であるとすれば、死後転生して人間に生まれ変わっても、苦を味わくことには変わりない。

だとすれば、大吾して天国へ生まれ変わる以外に、苦から逃れる道はないことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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毎年同じ様に季節は進む、だがその現れ方は全く違う

毎年同じ様に季節は進む、だがその現れ方は全く違う。
季節の移り変わりが、毎年違うという事は、地球は間違いなく何らかの変化しているという事であろう。
人類の絶滅まで1000年といっていた可笑しな男がいたが、何年か後にがそれを100年に修正した。
恐竜が2億年生き延びたにも拘らず、人間らしい姿の生き物、猿人がアフリカに現れてからまだ500万年にもならない。
しかも、現代人つまりホモサピエンスが現れてからは、20万年程でもあろうか。
そのころは歩きながらスマホとかいうものにのめり込んだ阿保はいなかった。
こつこつと石をけずって道具を作っていた、石器の時代であったろう。
地球は5億年で消滅するなどと述べている阿呆もいるが、その時地球上にはどんな生き物がいるのかな。
地球が誕生してから46億年、その地球があと5億年で消滅するという阿呆もいる。
人類はあと100年で絶滅するという面白い輩がこの地球上にいると言事自体が、人間って面白い生き物だなって思う。
人間という生き物がこれまで行ってきた様々な事柄を総合した結果だとは言うが、人間という生き物が恐竜などと比べてその数がはるかに多い。
ほんの数年間に72億といっていたのが十年もたたないうちに80億を突破した異常さ。
あのヤハウエーとかいう阿呆な神も人類を淘汰する力を失ってしまったのか、それとも人間という生き物にあきれ果てた結果なのか・・・
人類絶滅を100年に修正した男、生きていれば50年に修正したかもしれない。
ニーチェ永劫回帰どころのはなしではない。
ニーチェも困ったろう、人類絶滅しては永劫回帰など及びじゃないからね。
どこかの阿呆が言うように人類が生きれるのはあと百年だとすれば、今更慌てて炭酸ガスの排出が多すぎるなどと、
低能な官僚や政治屋が慌てて、己の支配する国民を搾り取ろうとすることも、まさに阿呆の滑稽さといわれても仕方るまい。
今更慌ててみても時すでに遅し。

ま、精々おのれの終焉が近づいていることに危惧を覚えるがいい。


<掲載写真の複写、転載はお断り。>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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もう少し頭を使え

いま諸外国のといっても、二か国だけの確認であるが、人々はマスクなしで戸外を大手を振って闊歩している。

人々が密集していようがいまいが関係ないらしい。

そんな時、なかなか感染者が下降線たどらないわが国において、ワクチン接種の個人負担を無料にする必要がどこにあると、抜かした阿呆な輩がいたが、彼らが企業に保障と称して膨大な金ををばらまいていた頃、カナダやオークランドでは感染者の拡大に悩んでいた。

その国の政治屋たちも真剣に訴えていたが、今それ等の国の映像を見るにつけ、様々な所で人が密集してい様がいまいが、マスクをつけた人々を見ることはまったくなくなっているようだ。これは政治屋たちが、コロナに対して真剣にコロナ対策を講じた結果の様な気がしてならない。

マスクをしろ、手を洗え、密集するな、の馬鹿の一つ覚えの様に宣うだけの安易さの差かも知れない。

企業保障だなどと金をばらまくことに喜び感じていた輩たちとは一味も二味も違った結果が今あちこちの国で現れている。

そこへワクチン接種を無料などにする必要がどこにある、などと抜かす輩がいるんだから日本という国は救いようがない様な気がしてならない。

民衆も参政権行使について一考する時期に来ているのではないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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朝鮮野郎の思い上がり

朝鮮野郎のミサイル発射情報騒ぎで、朝の静粛を乱された。

発射されたのは確かだろうが、多くの部分が早とちりの誤報であったような気がする。これだけ科学が発達しても、まず発表されるのはある程度の推量を交えたものであるらしいのにはがっかりした。

朝鮮野郎の思い上がりの何物でもないのだが、歴史を振り返れば、すぐに気が付くだろうに、それだけの頭もないほどのぼせ上っているのだろう。

朝鮮野郎が早朝からミサイルを発射したとして、防衛庁が様々な事を発表しているようだが、果たしてどこまで真実を発表しているか判ったものではない。

二次大戦中は大本営とか言う処が、ありもしない戦勝報告を発表し続けていたが、日本人の小学生から大人まで誰一人信用したものはいなかったろう。

子供達すなわちわれら小学生が、友と話しをするとき、大本営発表といってから話すことは全部嘘の事だよという了解が成り立っていた。

それほど軍部は国民に信用されていなかった。

華々しい戦勝報告が大本営発表を通じて頻繁にあった、がその全部が嘘の発表といってよかった。

大本営の合評が真実なら、その夜、空襲のサイレンなど鳴り響くことなどないはずであった。だが、その夜早速空襲警報のサイレンが鳴り響いたものである。

そのサイレンさえ仕舞には信用のおけるものではなくなった。

そのサイレンが鳴り響いた夜でも、飛行機の爆音さえしない夜であることが多くなった。

もうそれを信用するものもほとんどいなくなった。

今度の朝鮮野郎のミサイル発射のニュースもどれほどが信用できるものやら、国民には確認の仕様がない。

要は、政府や官僚どもの言う事を国民誰もが信用しなくなったのである。

防衛庁の発表自体過っての大本営発表のいい加減な発表と同じような匂いがしてならい。

というのも過って中国機による領空侵犯で日に何度もスクランブルをかけているなどという自衛隊の発表自体、私には戦闘機購入のための煙幕の可能性しか感じられなかった。

だが、どこの国にもかっての東条英機のような阿呆な輩が存在するのだろう。

現朝鮮の金正恩とか言う輩が東条と同じような行動をとる可能性は高いと言わざるを得ないほど、阿呆の部類に入るのかもしれない。

世は核兵器禁止などといってはいるが、何も核兵器を使う必要など全くない。

世界各国には原子力発電所が山のようにある。そこへ小さな爆発物でも投下すれば、原爆の数倍の被害をもたらすことだろう。

現在の自衛隊からの様々な発表がどこまで信用できるか、かっての大本営であっては国民が困るし、迷惑する。

自衛隊自体の信用を失い、子供たちに自衛隊発表といわせて嘘をつきますよの合図とされない様に注意する必要があるだろう。

自衛隊幹部程度の頭で、国民をだましとおせると思った大間違いである。

かっての軍部の様に年功序列の様な幹部でないことを祈るのみである。

国民には真実を発表するのが、政治屋や官僚どもの義務である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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雑感

雑感

ただの文庫本といえども、7~800もする。しかもただの大衆小説が~

吾が学生の頃文庫本といえば岩波文庫だった。

そのころの岩波文庫は確か70円だったような記憶がある。

その前はもっと安かった。

大学の学問の専門書でさえ100円代のものがあったくらいであるから安かった。

古書といってもいろんなタイプがある。

専門書から文庫本に至るまで。

専門書以外、娯楽物の小説文庫本などは一度読んでしまえば、ほとんどの人は二度とは読まない。

われ等は異常中の異常なのだろう同じ本を十回も読む馬鹿はそうはたとはいなかろう。

所詮は古本屋へ持っていくのだが、ほとんどが買いたたかれて持ち込む際の交通費にもならなかろう。

ところが店頭に並ぶ比較的新しいものは店頭に並ぶときは、新品の7~8割ぐらいの価格で並ぶ。

一度人の手に渡った手あかのついた文庫本など、とてもそんな高額な値をつけられては買う気は起きない。

何年か前までは比較的安価であったが、ある時点から二割も上乗せした価格になった。

よくよく観察していると、それらの本はほとんどだれも手を付けない様に見える。

買い手は所詮は100円本に集中してしまう結果になった。

面白いのは厚表紙の本が先に出て、それが文庫本になるのだが、文庫化がほとんど確実な本を千数百円もする厚表紙の本を買うものは少なかろう。

それでも文庫本は半値近いとはいえ、二日で読み切ってしまう本に7~8百円も出そうというものは少ないのではと思う。

図書館の貸し出し状況を見ると200人待ち300人待ちなどという人気本はざらにある。

借り受けられるのは一人二週間だから、己の番になるまでには何年かかるだろうって考えてしまう。

今の日本人それほど活字に植えているとも思えないのだが、出版界は不況だという。

その一方で百万部単位の売れ行きのものもあるというのだから解らない。

尤も図書館の制度にも問題はある。

予約申し込み者の受け取り猶予期間が通知があってから二週間、借り出してから返却まで二週間、計一人が独占するのは一か月と言う事になる。

予約待ちが数百人などという異常事態も当然その結果という事になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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